みんなが、心地よく行きていける空間に、この世界がなりますように。
ひっさしぶりに人間関係に悩んでいました。
まぁいままでもいろいろと悩んで、アドラー心理学なんか読んだりして、とにかく人の目を気にしない!って生きていたらなんとなく楽になりました。こんな感じでいいのかな。そう思いながら過ごしていると、ある問題が…
自分勝手すぎる。と言われる。
わたしとしては、自分がやりたいと思うようにやること、これが一番大事だったのです。それでも自分としては、人としてやったらいけないことはしてないし、人として最低やるべきことはやっているつもりでした。
しかし、相手の言い分は違ったようで。やるべきことをやっていない。このままでは一緒に仕事をしたくないとまで言われる始末。わたしはびっくり。そんなことを言われる筋合いもない相手だったからです。
それでけっこう頭にきました。自分のことを棚に上げて、なにを言っているんだ…絶対屈するものか。絶対にわたしはわたしのやり方を変えたくない………
同じ部署の人からも、いろいろと助言をいただきました。ここは相手に合わせておくほうが無難だ。そうしておかないと、あなたが損をする……
わたしが間違ってるの?わたしが折れないといけないの?仕事は真面目にしているのに。なんでわたしが悪く言われなきゃいけないんだろう…。そう思いながらも、自分にも間違ったことがあるのかもしれないとも思いながら、どうしたらいいかを考えました。
ここで相手に合わせて折れるのは簡単だと思いました。言われるがまま、愛想笑いを浮かべて言われたことをやるのは。でも自分の気持を完全に無視している。それは、続かないのです。いつかまた、同じような問題が起きる。
わたしが手放すべきものはなにか。
それは正しいと正しくないという判断でした。
わたしが正しくてあの人が間違っている?
それとも、あの人が正しくて、わたしが間違っている?
どちらも、そうではない。正しいも正しくないも、無い。
そう思ったとき、本当は、向かうべき方向はひとつなんだとわかりました。つまり、誰もが自分を一番大切に思いながら行動すること。お互いが気持ちよく接することができる関係性に戻すこと。そこには、妥協しないこと。
自分を大切にしながら、相手も大切にできる、そんな答を探すことに、妥協しないこと。今回の問題で得たことはこんなことでした。絶対に自分が正しいと思ったあとに、もしかしたら間違っているかもと思って、でも、自分をないがしろにはしたくなくて、考えに考えた、結果。あたりまえのことだけど、わすれてしまいやすい、こと。
みんなが、心地よく行きていける空間に、この世界がなりますように。