ひとりがあつまって、みんなになる

福岡のイラスト作家あべしほのブログです。

身体がある今だから、できること。

今日は3月11日。
時の流れに流されている自分を、省みるためにあのことを書きます。

2011年3月11日。

あの日、わたしが思ったことは、死んでしまったひとたちは、どうして死ぬ必要があったのだろうか、ということでした。

誰でも、自分がいつか死んでしまうとはわかっていても、明日死ぬとは思ってなくて。いつか衰える。いつかいなくなる。
いつかは、わからないけど、明日ではないだろうと。

ひとが死ぬときは、その人の使命をやり終えたあとだと思っています。だから、その使命を全うするまでは自分は死なないと思っているし、まわりのひとでも、この人はまだ、全然死にそうにないな、なんてひとはたくさんいます。

じゃあ、震災で死んでいったひとたちは、全員が使命をやり遂げたから死んでいったのか?

わたしは、そうとはおもえなくて。
すっごく悩む。いまでも、わからない。
だから、ちょっと怖いのです。わたしも、道半ばで死ぬ可能性がある。


(ちょっとスピリチュアルですが)わたしは死後の世界とか、生まれ変わりを信じているので、死んでしまったからといってわたしの意識がおわるわけではないと思ってます。だから、ある意味、やり残したことがあったとしても、たぶん続きをやれる日はくると思っている。

ただ、いま、この世界に肉体を持って生きているということ、それがとっても重要なんだなぁと思います。

身体があるからできること。
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言葉を発すること。
誰かを傷つけたり、誰かに傷つけられたりすること。
大切なひとを抱きしめること。抱きしめられること。
ひとの思いがわからないと悩むこと。
この、小さな身体を使って、表現すること。

それを、思い切りやることが、身体があるときにやることなんだと思います。

死んだあとも、大好きなひとに寄り添ったり、想ったり、祈ったりすることはできる。悩み事なんかは、なくなるかもしれない。でも、大好きだよと、大丈夫だよと、あなたのこと知りたいよ、と、身体を使って伝えることは、今しかできないのです。

重くなったなぁと思ったり。
叩いた手は痛いなぁと思ったり。
運動したあとは、だるいなぁと思ったり。
今なにしてるんだろうと思ったり。

身体の感覚を、もっと楽しんで、生きようと、思いました。

身体があるうちに。いつか動かなくなるから。

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わたしの感覚ですが。。。

今日午前中、いろんな人が集まってきているかんじがして、その時間のあとはスーーっと消えていったような。

会いたい人に、会えてたらいいな。