過去の辛さが今の悪習の原因?―わたしの場合~また高校生のときの話~
尊敬する立花岳志さんが、こんな記事を書かれていた。
こちらの記事では、立花さんご自身のつらい過去について、ご自身が勉強されているセラピー法の練習途中に思い出されたことや、その経過が書かれている。かなり赤裸々な記事で、読んでいるわたしもグッと来るものがあった。
そんなオープンなシェアを読んでいると、自分の中にも「解決」しないまま「忘れて」いることがあるような気がして、考えてしまった。
わたしは、知ってる人は知ってると思うし、あんまり書くと心配されてしまうのでアレなんだけど、書かないと進まないので書きますが(前置き長い)、いわゆる摂食障害と7年位付き合っていて、まぁつまり食べて吐くやつです。
とにかく食べるのが下手なんです。ちょっと食べなかったら、反動で食べすぎて吐くし、ちょっと食べすぎたら、食べすぎた分を吐きたくってたまらなくなる。
あーもう吐くわ。って思ったときには、もう遅くて、「吐きそう」になるまでがいつも無意識だなぁって気がついたんですよね。
そんなことをずうっと考えていると、思い出されるのは(やっぱり)高校生のときのことでした。
大人の前で無力な自分から逃げたい
↓
わかりやすい勉強をする(勉強できたら、尊敬する大人から褒められるしね)
↓
でも、本当はべつにやりたくもないので、甘いモノで自分を釣りながらやる
↓
食べながら活動が板につく
↓
おとなになり、我慢して何かやらなくてもいいのに、何かをしながら食べるくせだけ残っている
っていうような…気が…
高校生の時の自分っていつ思い出しても視野が狭いような、自分の考えが非常に甘く、考え足りなくて頼りない。でもそれって当たり前じゃん。子どもなんだし。中学までは勉強することがとても楽しかったのに、高校になったらボロ雑巾のようになってたもんなぁ。
今、目の前にあのときの自分がいたら、こう言うわ。
一ヶ月くらい学校行かなくていいから、好きな本読んで、好きなことして、好きな人に会いに行って、好きなものを食べて、好きな場所に行ってぼーーーーーーっとしときなさい。
あなたが知っている以外の大人に会いに行って話を聞こう。それは本でもいいしなんでもいいです。ネット環境がないならネットできるところに行こう。世間知らずなのが気になるなら、世間を知りに行こう!
世界は広いし、人生なんとかなるから、大学落ちたくらいで、一年留年したくらいで、死なないわよ。遠回りしようよ。ゆっくり行こうよ。立ち止まって、今の自分について考えるくらいの時間は、とってもいいじゃないか。
そうしたら、あの頃のわたしは、何かから開放されたような顔をしている。
お菓子がないとやっていけないとか、コーヒーやら眠眠打破やらでなんとかしてがんばっているような高校生は、すぐさま教科書と参考書をとりあげて図書館にぶち込んで本でも読ましときなさい。下手なビジネス本よりも、人間の深さっていいなぁって思えるような小説がいいですね。水滸伝とかねw超おすすめ。
勉強がんばるのもいいことと思いますよ。いろいろ書いたけど、高校生のときの自分のがんばりには尊敬と感謝しかないからね!