ひとりがあつまって、みんなになる

福岡のイラスト作家あべしほのブログです。

待たせる側のがんばり、待つ側のやさしさ。おたがいさまだから…

コンタクトレンズを買うために眼科に行きました。

駅ナカの眼科なので、便利がいいためかいつも人が多いんです。けっこう待ちます。待ち時間のあいだ、待つことと待たせることについて考えていました。

 

待たせる側に待ち時間を減らす努力を求めるなら、待つ側はいかに負担なく待てるか考えねばならない

待合室にあふれる患者をまえに、眼科のスタッフさんたちはいくらか消耗しているような雰囲気でした。検査と診察を終えて会計をするときに、事務の人に「いつもこんなに多いんですか?(今日は特別多いのですか?)」と聞いてみた。ただなんとなく、場の雰囲気を和ませたくて他愛のない会話がしたかっただけです。

すると、「すみません」と言われてしまいました。

全然…!謝ってほしくて、責めたくて言ったわけではないのですが、多くて待ったわ~、とでも言いたかったかのように聞こえてしまうのかな、と思いました。

 

この会話は、コンタクトレンズショップに言っても同じように繰り返されました。

 

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性善説ですが、基本的に人は誰かを待たせたくて待たせてるわけではないと思うのです。その人の、その場所の精一杯の結果、仕方なく待ち時間が生じている。そこに対して、イライラしたり、待たせてる相手に当たったり、待ち時間という時間に対して考えても仕方ないというか。

待っている、待たされている、という無言の圧力は、(仕方なく)待たせている側を静かに押しつぶしている。精一杯やっているところに、さらに急ぐ。自分の限界を超えると、人は消耗する気がします。

 

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だから、いかに、お互いがラクに待つか、待たせるかだと思うんです。

困っている人を見たら助けるみたいに。無言の圧力に押しつぶされそうになっている場面があったら、その圧力を逃してあげる。それはたった一言、ご苦労様、とか、ありがとうございました、とかです。

待っている人同士で楽しんでたらもっといいです。日本では列に並んでいるときに、前後の人と話すことってあまりないと思いますが、アレはすごくモッタイナイですね。同じ目的に向かっている人間同士、仲良くなれないはずがないのです。

 

もっとゆるやかなせかいになるといいね。