強みを育てることは、種をまいて水をあげて、花が咲くのをじっくりと待つこと。
ドラッカーの勉強をしています。
夢見る絵描きはドラッカーを学ぶ
強みを活かすということ
発掘した強みは、育てる必要がある
ひとを好きになることは じぶんを信じることです
だれかを好きになったら
じぶんの好きな気持ちを信じてあげる
だれかを好きになったら
相手のことを、信じるんじゃないよ
そのひとのことを好きになった
じぶんを 信じるんです
じぶんを信じられた分だけ
だれかのことが すきになれる
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だれかを好きになったら
その人を信じてました
そしたら、ちょっと思ったことと違うふうになったら
信じられなくなって
わたしは、あの人が本当に好きじゃなかったのかな、とか
あんなに好きだったのに、どうして、とか
悩む
でも、その人を好きになったじぶんを信じていれば
どんなことがあっても じぶんが好きになった人だから って
信じられる
もし、うまくいかなくても、じぶんを信じた結果なら しかたない
って 思える
わたしはもっとたくさんのひとを好きになりたいから
もっと、じぶんを信じていこう
滝行をしてきました~力を抜くためには、思い切り力を入れないとわかんない~
滝行をしてきました。
昨年10月に続いての2度目ということで、期間はあきましたが勝手もわかるので安心して伺いました。
滝行とは
その名の通り、滝に打たれる行です…
友人が毎月行っているので、誘っていただきました。
滝行と言えば、でっかい滝の滝つぼに入ってめっちゃ打たれるのをイメージするかもしれません。
でもそんな危険なことはしないようで(笑)、今回の滝行は本流から3本のパイプで流れをいただいて、その下に入るというもの。
ただ前日までの大雨で、流れの一部とはいえすごい勢いになっていました。
滝に何を求めるのか
何を思って滝に打たれにいくのか。はじめ、わたしはよくわかりませんでした。何かを求めているんだろうけど、何かわからない。
滝に入る前に、観音様にごあいさつをしたり、たくさんのお地蔵様にろうそくと線香をあげたりします。
たくさんのお地蔵様のなかで、剣を持って、こわい顔をして仁王立ちしている不動明王様がよく目につきます。
どうやらわたしは、強くなりたいようだ。
迷ったり悩んだりする。立ち止まる。うだうだする。そんな自分と決別したい。
そりゃ、悩むことだってあると思うよ、でも!とにかくやるんだっていう強さがほしいな…
できないこととか、できないと思うことの前に立った時に、えーいって進めるちから…
いろいろな思いを抱いて、滝に入る
それで、滝に入る順番になって、いろいろ手順を教えていただいて入ります。
ぐわっと、後ろから押される。すごい勢い。
負けないぞーー!絶対やるぞーーー!って、水しぶきの中で叫んだ。
水の勢いに負けないように、足は踏ん張って、肩にも腕にも力を入れて。
叫び終わって、ふっと力を抜いたとき
あれ、なんかめっちゃ気持ちいいな って気づいた。
後ろから押される滝に寄り掛かるように、力を抜いているとふわりふわりとして心地よかったのです。
ありゃ、力入れる必要なんかなかったな(笑)
でも、力を入れないと、滝には入れなかったわけで(弾かれちゃうから)。
物事がうまくいくときとは
力を抜いて、流れに任せればいいってわかるためには
力を入れまくって、自分で力づくで進もうとするときも必要。
自力と他力。裏表なんだなって。
最初から流れに任せててもうまくいかない。最後まで自分でやろうとしてもうまくいかない。
物事は、うまい具合に、できているな、と気づいた
今回の滝行でした。
みえないもののちからは 思った以上にすごい。
流れが悪いときは、じぶんを振り返るとき〜大雨が降ったら〜
流れが悪いなぁと思うときは、じぶんを振り返るときだと思っています。
どんなかたちのモノも 出していこう
何にも持たずに生きていく。
じぶんのリズムにあわせて、動く〜仕事の仕方について〜
物事がうまくいくときのひとつのポイントとして、トントン拍子に進んでいく、っていうのがあります。
抱え込むと重くなる。
フロー感を大事に。パッと取ってパッと出すかんじ。
仕事のスタイルは人それぞれ、千差万別
成功ってなんだろう。幸せってなんだろう。
自分にとっての成功ってなに?幸せってなに?
自己啓発系な質問ですけど、どうもそんなことを考える時期みたいです。
というのも、昨日ちょっと手相を見てもらった、いつもお世話になってる占い師さんから言われたものだから…。
なんとなく、自分のなかの流れがいま、強くなりつつあるんですよね。
成功って、目に見えるものだけではなかなか測れない。目に見えなくて、ひとから見たらなにも変わってなくても、じぶんのなかではつよく、つよく流れているものもある。
これからいろいろな選択をすると思う。
そんなとき、「自分にとっての成功や幸せ」がちゃんとわかってないと、選択を間違うときが、あると思う。
一般的な幸せ と わたしの幸せ は 違うもの。
わたしの幸せ がわかってないと、「ふつうはこっちかな」って、一般的なほうを選んでしまうんです。個人の幸せなんて世間の幸せから見たら逆のことだってありうるわけで。
究極の選択を、ふつうのひとの感覚で選ぶと大変なことになる。
しかも迷ってる暇がないかもしれない。だから、先に判断基準を決めておくのです。
今日一日、考えていたけどまだはっきり答えはでてません。たぶん、考えて出るものではないとは思う。でも、問わなければ。問い続けなければ、答えは出ませんから。
成功って言われてもわかんないなぁ、というひとは、「じぶんはなにがすきでなにが嫌いなのか」くらいを考えてみると、いいかもしれませんね~